ポケモンサンムーンのシナリオってクソだったよね、という話
どうもラクテです。
秋に新作「ソード・シールド」の発売が控えているということで、今更ながら「サン・ムーン」のことを少し振り返ってみようと思います。
はじめに
私はミーハー、つまり考えなしに次から次へ流行りものを追っかける人が嫌いです。
次に、深夜アニメとそれ特有のお寒いノリが嫌いです。
現代はナヨナヨしながら甲高い声で鳴くメスが沢山出てくるコンテンツが粗製濫造される時代です。自分好みのメスが出てくれば内容なんてどうだっていい、そう考える人も多いのではないでしょうか。
私はそれを非常に嘆かわしく思います。私自身はあまりアニメや漫画の類を見ないのですが、街を歩いていてもネットの広告を見ても似たような女、女、女……正直うんざりします。
老害と言われればそれまでですが、中身のないコンテンツが幅を利かせる現状はちょっと嫌だな、というのが率直な感想です。
そして、私はポケモンというコンテンツが大好きです。
これからもずっとずっと沢山の人に愛されるコンテンツであってほしいと切に願っています。
本題
はい、じゃあここからポケモンの話。
サンムーンのシナリオは主にリーリエの家庭の事情を軸に展開されます。主人公の島巡りや伝説のポケモンのエピソードもこれに絡んできます。
そしてそのリーリエという人物がこちら(知らない人のために一応)
いつ見てもムカつく顔してんな
いかにもオタクが好きそうな何か事情がありそうな美少女、といった出で立ちですね。
「サン・ムーン」のシナリオをざっくり言うと、この女の成長の物語です。
主人公とリーリエが初めて会うシーンでは、トレーナーでもない主人公にリーリエが「私のポケモンが吊り橋の上に行っちゃったよ〜😭怖いから連れてきて〜😭」と泣きついてきます。(ウルトラサン・ウルトラムーンではポケモンを入手した後に同じイベントがあります)
いやお前何様やねん
ポケモンの扱いに慣れてない、ということを表現したかったのかもしれません。しかし、棒立ちでただ「怖いから」と他人に自分のポケモンの世話を頼むだけではあまりにも説得力がなさすぎます。足がすくんで立てないみたいな描写のひとつでもあれば印象が変わったかもしれません。
また少しシナリオが進んで1つめの試練をクリアした後、今度は「自分のポケモンとはぐれちゃったから一緒に探して〜😭」と言ってきます。
ちょっとは学習しろよ
おまけに見つけるのがちょっと面倒なのもあって、このイベントに腹が立ったプレイヤーも一定数いるのではないでしょうか。
そして終盤、シナリオのクライマックスでのシーン。
何その顔?舐めてんの?
こんなあざとい膨れっ面を見せられては、どんなシリアスなシーンも台無しです。「ひどいです!ひどすぎます!」だって?そりゃこっちの台詞だ。
結局、伝説のポケモンを連れたリーリエと共闘して黒幕と戦う……なんてシーンもなく、最後の最後までリーリエが自分のポケモンと向き合うことはありません。目の前で長い長い親子喧嘩を見せつけられて終わり。
あれ?これ主人公いる?
当ブログのヘッダー画像にもあるように、私は「サン・ムーン」の主人公のデザインが大好きです。それもあって、このように主人公が無下に扱われるシナリオが許せないのです。
リーリエが普通にポケモンを持って戦えば主人公抜きで解決する話です。それをさせないために、無理矢理にでもポケモンを持たせなかったのではないか、という邪推をしてしまいます。
と、まあムカつく女なのですが、見た目だけは正統派の美少女といった感じなので、オタクからは無駄に人気があります。見た目以外に好きになる要素あるか?
その無駄な人気のせいで、公式からあまりにも露骨なゴリ押しを受けています。こいつの立体物だけで何種類出てるんだ?
ニンドリの人気投票でも堂々の1位を獲得。ここまで見え透いた結果の人気投票があるでしょうか。
さらには2018年に開催されたポケモンカードの大型大会「チャンピオンズリーグ東京」では、記念撮影用のリーリエのパネルが設置されていました。いやいや深夜アニメのイベントちゃうねんぞ、と。
初めに述べたように、私はオタク向けコンテンツが苦手です。深夜アニメならいざ知らず、ポケモンをそういうコンテンツにしてくれるなよと強く思います。
これも時代の流れ、というのなら私のような古い考えのファンはポケモンから離れ、「老害」の烙印を押されて生きていくしかないのかもしれません。
「ソード・シールド」では、深夜アニメのようなお寒いシナリオやキャラクターが生まれないことを祈るばかりです。
最後に
ポケモンに重厚なシナリオなど求めていません。それこそ「赤・緑」のような、薄味でいいと考えています。