自分にとって「絵を描く」ということ
どうもラクテです。
最近モチベーションが低下してきているので、気持ちの整理も兼ねて。
私の心には、非常に凶暴な承認欲求の獣がいます。
こいつは、いつでも隙を見て私の心を食い破ろうとしています。
私が絵を描いている理由の半分は、この獣が飢えないように餌を与えるためなのです。もう半分は純粋に楽しいから。
自信のある絵に思っていたより反応が貰えなければ、獣は「腹が減った、もっと食わせろ」と激しく暴れます。満たされないのが悔しくて、眠れなくなる日も何度かありました。
思うように反応が得られないと、「誰も自分の絵を見ていないなら描いている意味がないんじゃないのか」と何度も思いましたが、「ここで折れたら負けだ、今までと何も変わらない」と自分に言い聞かせて、なんとか再起しようとしています。
努力しろ、というのはわかっています。しかし、私と同じ程度の実力でもより絵への反応が多く、フォロワーの多い人も沢山います。
私には、それが信じ難く許し難いのです。
小学生の頃、毎日掃除を頑張ろうが通知表の評定がよかろうが、褒められるのはいつも自分ではなく別の人物だったのです。
そのような体験から、私は自分が平等に他人に評価を得られないのが許せないのです。
他の人を褒めるなとは言いません。同じように自分も褒められていい、私はそう思うのです。
大きな承認欲求が自分を苦しめているのは事実ですが、前述したように自分に絵を描く理由を与え、モチベーションを維持できるメリットもあるのです。
そもそも承認欲求がなければ、Twitterやpixivで自分の絵を公開などしません。誰かに見てほしいから公開するのです。
そして、作品というのは他人に認識されて初めて作品たりえると思っているので、公開することでただの「妄想の具現化」を「作品」へと昇華しているのです。
さらに、多くの反応を得られると、次はもっと多く反応を貰えるように頑張ろうと思えます。
私にとって承認欲求は自分の心を苦しめるだけでなく、努力するための原動力でもあるのです。
私の課題は、承認欲求の獣の飼い慣らし方を覚えることでしょう。
多くの反応を得ようと焦るのではなく、少しずつでいいから前より成長しようとする姿勢を維持しなければなりません。
最後に
私は文章を書くのが得意ではありません。ですが、自分の考えていることを文章に書き起こすことで頭の中を整理し、少しではありますが落ち着くことができます。
定期的にこのような形で自分の気持ちを綴っていけたらいいなと思います。